5日に渡る棚経を終えて

2017年 08月 16日

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12日から回らせて頂いた、棚経も無事終わりました。

今年もそれぞれの檀家さんのお宅で、良い報告も気の毒だなと思う様な出来事もありましたが、お盆が出来て良かったと確認できた気がします。

そんな中でも、悲しい思いになることがありました。

そのお宅のお婆ちゃんが亡くなる前は、家族全員でお経の時に集まってくれていた、お宅です。

お婆ちゃんが亡くなって、お婿さんの代になって息子さんたちの姿が見えなくなり、多分大学卒業して就職しているんだろうなと思っていたら、結婚式の写真を目にしました。

『あーお兄ちゃん結婚されたんですね。』

「そうなんです。」

『おめでとうございます。どちらにお住まいですか。』

「子供の自由に任せてるから、茅ヶ崎かな」

『お盆は、帰って来られたんですか?』

「そういうのも自由にまかせてるから。そう育ててきたから。だってそうでしょ、」

『、、、、、???? あっそうですか、では失礼します。』
と言ってお宅を出ました。

私は、人間が生物である以上、「好きな様にして良い」「相手に気を使わなくて良い」という意味の自由って無いと思ってます。

そういう自由は、「物事には許される範囲がある。」と言い換えられるのでしょう。
責任を果たせば、ここまではやっても良いという許容範囲のことだと思います。

親は、「お盆にはお婆ちゃんが帰って来るんだから、4日間もあるんだから必ずお線香をあげにきなさい。」
せっかくお盆の飾りをして、この事を伝えなかったら、何のためにお盆の行事をしているのか理解できません。

これは、親の責任です。

それに対して、子供はある程度の責任を果たします。
4日間仕事、またはレジャーなんだ、となれば、「お盆の前にお墓掃除は済ましておくよ。」という言葉が出るんです。

そこで初めて、「自由にして良いよ。」
という言葉が活きるんです。

この途中のやり取りも無しに「自由にさせてる。」というのは、無責任 & 無関心としか言いようがありません。

愛のある言葉のキャッチボールを、棚経を通して重ねて参りましたが、時間があればどこがおかしいか話し合いたかったです。

棚経に付き合ってくれる子供達は、本当に明るい。
人は、現実世界だけではなく「物語」が必要なのですから。

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Comments

  1. 私は、なかなか秋田や奈良のお墓参りに行けず、親不孝をしています。
    でも、子供達はそんな私の代わりに、ちゃんと実家に帰ってお墓参りをしてくれます。帰省すると、まずはお土産を仏壇に供え挨拶します。
    祖父母と暮らしていた10年間で、夏休みや冬休みは家の仕事をこなしてから、自由にしていいのが当たり前になっています。
    よそのオタクで(いえ、従兄弟とかも)、「お前んち大変だな。」「変わってるな。」と言われたりもするそうです。
    本当に、親世代の意識が、しつけが、変化していて、若者が無知になっているのだと感じます。

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